高山駿治
Syunji Takayama


Profile
洞計画研究所 主宰
東京都新宿区北新宿1-4-9 柏木VL201

1946 熊本県生まれ
1969 早稲田大学理工学部建築学科卒業。大学院理工学研究科入学
    アトリエ・ドム入社
1971 早稲田大学大学院理工学研究科修士課程終了
    アトリエ・ドムを退社して、都市計画・地域計画に従事(フリー)
1972 西ドイツボッフム市に住み、ドイツの都市研究を行う
1973 ESD環境設計綜合研究所入社
1976 高山駿治建築設計事務所設立
1981 洞計画研究所に改称、現在に至る




地蔵堂の家





天城山荘



荏原の家



リビング・プルーフ



石井邸











ベルカーサ阿佐ヶ谷
建築家・高山駿治さんに会ったのは、もう、25年余り前になる。確か、雑誌社のスキー旅行で、上野駅のホームで、若い私とさらに若い彼と出会った記憶だが、さだかではない。
笑顔の良い好青年の印象があって、それは50を過ぎた今も、彼の顔から失われていない。
高山さんとは、その時次のスキー旅行の約束をした記憶がある。私は、20代前半から50過ぎた頃まで、スキーを続けていた。私の仲間は、多い時には20人を越した。高山さんは、間もなく、そんな仲間の大切な一人になった。彼のスキー用具やザックは、仲間の中で、最も時代遅れのもので、それが彼らしかった。質実で、流行や通俗に尾を振らない魅力的な彼は、私と価値観も近いと思えた。

彼の作品を撮影したのは、それから、大分、過ぎた頃だった。いずれも住宅だったが、そのどれもが、彼の人柄らしく、質素で好感の持てるものだった。これまでの作品の幾つかは、雑誌・住宅建築の誌面を飾っている。ここに登場して頂いた建築家の方々に、共通していることが一つある。それは、悪趣味の、いわゆる「豪邸」の類いは、決して造っていない。そういうものに価値を持つ人達ではない。常々、街に並ぶ住宅の多くのデザインの酷さを嘆く私である。本来、日本人は質素で、美しい庶民文化を持つ人種だった。今も生き続ける昔町を訪ねれば、簡単に合点がゆくはずある。高山さん達のような建築家に頼むことが、良質な住宅を予算内で手に入れることができるはずである。この建築家訪問記に登場した全国の建築家の、どなたに依頼しても、後悔することはない、と私は信じる。
もし、気に入らなかったら、オーナー自身が、もう一度自己の感覚や価値観を検討する必要があるかも知れない。金を出せば良い、偉い、というものではい。金はそれほどのモノではない。金拝主義の人間ほど良質を失う。

一昨年、私は、義妹夫婦との二所帯住宅を造った。私の住所録の三分の一は、建築家か建築会社関係者である。しかし、誰に依頼するかを、あまり迷うことはなかった。つまり、予算が全く少なかったので、友人として、親しく相談できる彼に、まず、家を建てる事を秘して、ローコストの限界を彼に訊いた。彼なりの返事をくれた。それから依頼した。
「まさか、宮本さんが家を建てようなどとは、夢にも思わなかった。一杯、食わされた…」と、彼はいまだに苦笑する。
私は、家を持つということに、全く固執しない。家や車も「単なるモノ」という価値感しかない。だから、何でも良いというワケでもない。造るなら、自分の趣味に会う「デザイン」が欲しい。洋服と同じで、流行に頼ったり、安いだけでは、所詮、不足である。しかも、長く建築ジャーナリズムの中にいる。娘が楽器を奏なで、家族が不可解な笑顔を振りまき、犬も尾を振る、通俗に過ぎるTVCMレベルの、大手ハウスメーカーの住宅などを建てたら、笑い者になりかねない、程度の気負いや意識はあった。ただ、建てる家に私は住まない、という事情があったので、ますます気楽だった。
妻と成人過ぎた子供二人が、雨露凌げる場所を、私の人生最後に協力できる事として、高山さんに頼んだのである。

私は、高山さんに何もいわなかった。途中、義妹や妻とは、衝突もあったらしい。息子は、建築雑誌の撮影などをしているから、高山さんとの共通語がある。彼と息子に任せれば良い、と黙していた。工事途中も、ほとんど見なかった。高山さんの努力と、良質な工務店のお陰で、<荏原の家>はできた。我が家の予算では、手に入らないであろうクオリティのものであった。
私は、一言「ありがとう」と彼に言った。それだけで互いに十分と信じた。無言無為の依頼主は、多くを手にする、というのは、何事についてもいえることである。写真家に撮影を頼んで、その周囲で自分のカメラで、撮りまくる建築家もあるが、建築家の隣りで素人図面を書くごとしで、非礼である。

通常、家を建てる事は大事らしいから、建てる人は、まず、良質な建築家を知る努力をすることである。建築家たちに読まれている専門の住宅建築雑誌には、良質な建築家と思える人達の作品が多く載っているから、参考になる。図書館に通って、1年ほど勉強するが良い。作品を通して、建築家の質を学ぶことに専念することが必要と思う。素人向けインテリア雑誌は、役に立ちにくい。素人に合わせて作っているからで、インテリアとインテリアグッズの区別も判然としない内容のものが多いからである。

ともかく、高山さんの設計した家で、家族は2年余を暮らした。私も、月の数日は過ごすが、ほとんどは、群馬県に近い埼玉県の田舎町の、デザインメタメタの借家でのアトリエ暮らしである。私の望む周囲の緑や、山並みに家賃を払っている、と思っている。妻や娘は、蛇や虫のいる田舎暮らしは嫌だという。近い将来、三浦の岬あたりに引越して、小魚釣りでも楽しみながら、還暦以降の人生を過ごそうと思っている。岬近くに小さなアトリエでも建てようかな、などと思い、暮れにジャンボ宝くじを買ったが、外れた。


WORKS
1988 地蔵堂の家         群馬県上野原町
1989 トヨタ工業栃木工場管理棟  栃木県上河内村
1990 中村邸           東京都田無市
1991 中村邸              文京区関口
1992 天城山荘          静岡県中伊豆町
1993 ワルト・ハウス       東京都練馬区早宮
1994 明野山荘          山梨県明野村
1995 中村邸           東京都中野区鷺宮
1997 荏原の家             品川区荏原
    弥陀山荘          長野県茅野市
    リビング・プルーフ     東京都中野区鷺宮
1998 石井邸              中野区鷺宮
    ベルカーサ阿佐ヶ谷        杉並区阿佐ヶ谷


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