平野祐一
Yuichi Hirano


Profile
平野地域計画 主宰
香川県高松市春日町1477-11

1953 大阪府生まれ
1977 京都大学工学部建築学科卒業
1979 京都大学工学部大学院修士過程終了
    卒業後、設計事務所洋々社、旦設計計画河波平野事務所などに勤務
1986 山本忠司建築綜合研究所勤務
1993 平野地域計画設立、現在に至る








真鍋邸



JA善通寺市農機具格納庫



新池邸



JA善通寺市吉原町
   新農業物集出荷場
暖冬気味と言えども、北国は吹雪であると、ラジオが伝えている。東京以南に旅に出ることにする。讃岐は暖かいかも知れない、と香川に照準を合わせる。知人の記者の記事で、高松に平野祐一さんという建築家の存在を知る。「どんな人?」「とても穏やかなやさしい感じの方」と知人は言う。今まで、彼が紹介してくれた建築家は、皆んな温厚だった。
いつものカメラザック一つを肩に、羽田に向かう。衣類などは、先に高松の宿で一泊しているはずである。少しは暖かいかも知れないと思った四国から、積雪の便りを知ったのは、昨日のTVだった。ついていないのか、当たり前なのか分からないが、十数年前に、雑誌の取材で琴平を訪れた時も雪が降り、白いものが、建物の端に写っている。雪の四国は珍しくないのかも知れない。高松行が、黄昏の羽田に舞い上がったのは、18:00。高松空港に着いたのは、19:30近くのこと。街までバスに乗ろうと暗くなった外に出ると、冷えた空気が体を包んだ。夜目には、積雪の気配はない。35分ほどバスに揺られて、宿に入ると、そこのカフェに平野さんが待っていてくれた。

平野さんは、知人の評価通り、穏やかで実直そうな第一印象である。事前に送った香川の建築リストを拡大コピーして、明日から見て回る高松の建築探訪コースを作成してくれていた。1時間余を、香川の建築のこと、建築界のこと、近代建築の保存のことなど、初対面とは思えない、楽しい時を過ごす。

平野さんは、香川出身者ではない。香川県に来たのは、昭和62年の事である。「東京は生活する所ではない」という平野さんと、子育てにはのんびりした所が良い、という奥さんのキャサリンさんの意見が一致したようである。平野さんの奥さんは、カナダの人である。「東京は生活する所ではない」という人は時々いるが、とすると東京は何をする所なのか。仕事するだけには良い、という事なのだろうか。「東京に住みたい」という人も居る。人の暮らしに対する価値観は、様々だから仕方ないが、東京で暮らしている人は、人間的ではないのだろうか、疑問に思う。子供を育てるには田舎が良い、という奥さんの意見は、疎開で、信州の安曇野で少年時代を過ごした私には、納得できる。

ともかく、大阪で生れ、京都で大学時代を過ごし、東京で仕事をしていた彼は、友人の紹介で、この地に多くの作品を残した建築家・山本忠司氏を頼って、讃岐にやってきたのである。大学でも、増田友也氏という師を得ている。師には恵まれた方、と言えよう。山本氏の事務所に6年ほどいて、平成5年に独立、「平野地域計画」という事務所を構えた。

平野氏が建築に興味を持ったのは、'70年大阪万博である。開期中に7回も行ったらしい。開幕前に、忍び込んで建設現場を見て回った、という興味深さを、雑誌のインタビューで答えている。彼が、コッソリ忍び込んで見学していた頃、私は雑誌の事前取材で、まだ完全でないパピリオンの幾つかに向かって、懸命にシャッターを押していたのである。
それでも、「建築家になろう」と思ったわけではないらしく、希望通りの受験にならなかったことが、「建築でもやろうか」ということになったらしい。

平野さんは、「建築の場所性」を本の中で語っている。「場所性」とは何か。人の暮らしや地域の空気などを含んだ全体を指しているようだ。そして、施主と自分との出会い、地域や時間の同時性を大切に考えているらしい。建築主には、それぞれの暮らしがある。
それぞれの事情にあった、良い建物をどう提供するか、ということを設計上、最も大切に考えるという。これは彼に限ったことではなく、全ての建築家が基本とすべきことであろう。自己の作品性にこだわり過ぎて、使いにくい、というのでは、本来の建築の目的は果たしているとはいえない。機能的で、且、美しい、という事を究極とするが、美しいけれど使いにくく、欠陥が多いより、平凡なデザインだが、とても使い良く欠陥が少ない方が、良質な建築といえる。私は、人の建物を「見て楽しむ」のが仕事みたいな人だから、「見掛けの評価」をするが、建築の真実の価値評価は、住み、使ってみて始めてできるものだろう。ただ、人は建築に限らず「見掛けにこだわる」ものだから、デザインというものも、疎かにはできないものと思うし、建築家が端的に自己表現できる部分でもある。建築家の個性や力量は、作品を「眺める」ことだけでも、結構、判断できるのである。

平野さんの仕事を4つほど眺めた。彼のデザインは、傑出しているとはいえなかったが、好感は持てるものではあった。彼は、きっと小児科の先生のように、小さな紅葉のような子らの手を取り、語りかけるように、施主と建築を造り上げているのだろう、と感じたのである。2日間、平野さんは高松市とその周辺をくまなく愛車で走り回って、数十件の建築を案内してくれた。車の運転は抜群とは思えなかったから、疲れただろうが、そんな顔一つしなかった。彼は、友人と「建築探偵団」を作って、時折、建築探訪に出かけている様子。彼の知らない建築の幾つかが、私のリストにあって、それが素敵なものだと、彼は素直に感嘆の声を上げた。

2日間、香川の空は晴れていたが、東京に比べて暖かい、とは思えなかった。彼と登った五色台のハイウェイの道には、残雪もあった。「雪は時々降るんですか」と訊くと、「いえ、珍しい事ですよ」との彼の答。私は、特に寒い日を選んで来たようだった。
五色台から眺める瀬戸の島々の上には、ちぎれ雲を浮かべた冬の讃岐の空が広がっていた。


WORKS
1995 真鍋邸                香川県三豊郡詫間町
    仲林邸                大阪府堺市
1996 JA善通寺市農機具格納庫       善通寺市上吉田町
1997 岡田邸                香川県綾歌郡飯山町
    立石邸                   三豊郡豊浜町
    関 邸                      三野町
1998 新池邸                 高松市春日町
    サイクルショップ シナノディスプレィ    兵庫町
    JA善通寺市吉原町新農業物集出荷場  善通寺市吉原町
    ソバハニ邸              香川県木田郡庵治町
1999 川島邸                      三木町


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