
山城の家・アトリエ

土成中央公園展望休憩所

山城橋

道の駅貞光ゆうゆう館

道の駅どなり

徳島大学工業会館

アヴァンギャルド

Yオフィス
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徳島に行くのは、11年ぶりである。親しい建築家はいない。知人の紹介で、徳島市でリードオフマン的存在の建築家2人に、徳島市内の建築採集を手助けして頂く。ある場所まで来て、赤信号で停車した。前方右手に、キラキラと光る欄干を持つ小さな橋が見えた。
欄干以外は、どこにでもある普通の退屈な橋である。
「あれ、誰がやったの?」と訊く。
「あ、あれですか、野口君という地元の建築家です。良いですか?」というから、
「うん、悪くないよ。頑張っている」と答えた。
「本人も一生懸命やり、自信作だったようだが、周囲の反応はいまひとつでした。宮本さんが評価していたと言えば喜ぶと思います」と、建築家の一人は笑顔で答えた。ステンレス製だろうか、ピカピカと曲線を描きながら光る橋は、生彩のない橋に生きた存在感を与えていた。街の美観を整えるということは、こんなことの積み重ねだろう。多分、人によっては「余分」なことと言うだろう。役所との格闘もあっただろう、と推測した。けれど、それでも少しでも美しい姿を求めた「頑張り」を、私は車の中から評価したつもりであった。
その日の夕食は、地元の建築家グループとの飲み会になった。古い酒蔵を改修、転用して舗にした、なかなか高感度な空間である。皆さん忙しいのか、最初は3、4人だったが、1人増え、2人増えして、最後は7、8人になった。橋の欄干のデザインをした野口さんが見えたのは、最後の方だった。彼の最初の印象は、レトロな雰囲気を持つ中年男性という印象だった。大正時代のモダン紳士、そんな雰囲気があった。その場で、野口さんとは、多くを話さなかったし、彼は、多弁には見えなかった。
翌々日の午後、彼の事務所を尋ねた。事務所は、街中の彼が設計したビルの上階にある。オフィスは、想像通り感覚的なインテリアが構成されている。それから彼の車で、彼の作品を軸にした建築採集に出かけた。徳島の建築の状況などを訊く。彼の個人的なことはほとんど話ができないうちに、別れた。4時間ほどの取材だったのに、特に何も訊かなかった。後で訊こう、と思っているうちに徳島を出立することになってしまった。
彼の作品は10軒ほど見た。見るに耐えない、というものは無論なかったが、レベルに多少の凸凹はある。私の印象に残ったのは、「Yオフィス」と「山城橋」である。「道の駅どなり」も悪くなかった。最後に、工事中の集合住宅を見た。完成していないので、正確な意見は言えないが、完成しても、視覚的には私の興味は惹かないだろう、と思えた。ただし、機能面で考慮された所があって、それが予定通りに機能すれば、使い良い集合住宅になるかも知れなかった。もの創りは、作者の人柄の良さが、作品を甘くすることがある。つまり自己を引っ込めることがある、ということである。それは、ほとんどの作家にあり、自己のマイナスが仕事を仕上げる上で、プラスになるからだ。仕方ないことだが、物見遊山の私には、失望の根源となる。特に建築家は、大きな予算で、造る方も造らせる方も必死だから、物見遊山の人間の見識などは論外、とは認識はしているけれど、多くの過酷な条件を越えてなお、素敵に見える物創りをして欲しい、と願っているのである。野口さんたちのような建築家が、忙しく仕事をしてくれないと、徳島の街は美しくはならない。街は、どこも玉石混交だが、あまりにも堕石が多過ぎる。徳島市も例外とは思えない。野口さんを始めとする有能な建築家の何人かが街で活動しているが、その有能ぶりを認識できるクライアントが少ないのだろうか。昔は、良質で、高感度なクライアントが多くいて、優れた棟梁や職人を育てている。昨今は、安く早くと、立ち食い蕎麦のような建築を依頼する、精神の卑しいクライアントが増えているように思える。金も時間も与えないで、ちょっとの欠陥は、鬼の首でも取ったように騒ぎ、揚げ句は値切りの材料にしようなどとする、卑
しいクライアントの話を聞いた事も、一度や二度ではない。最近話題になった商工ローン並の貧相さである。住宅も、個人的には大きな買い物だから、生半可な建築技術の知識は不要、安っぽいインテリア雑誌を買い込んだり、ハウスメーカーのパンフを集めることは後にして、良質な建築家を選択する目を養う努力してから建てたら如何なものだろうか、とは常々思っていることである。
日本は、敗戦に打ちのめされた終戦直後より、精神的には貧しいのかも知れない、と思うこの頃である。良質なクライアントが現れない限り、優れた建築家は育ちにくいだろう。
ある建築家に向かって、オーナー言った「予算に限りは設けるが、時間はたっぷり取ろう、どちらもが不足しては、良質は求められない。完成後に、互いに気に入らなかったら、もう一つ造ってみようよ」。その位の余裕のある精神を持ったオーナーが、現代にもいることを知って、少し楽しくなった話である。
良質なクライアントがいれば、野口さんは、またまだ素晴らしくなる資質を秘めた建築家である。数年後に、また、徳島に行って、彼のその後を見て歩こう、と思っている。
彼に、少しの質問をした答えがFAXで返ってきた。
○好きな建築作品=マイレア邸
○好きな建築家=A.アアルト
○趣味=ラグビー
◎建築に対する思想
建築は、大地の力を引き出し、住む人の夢を育み、風景に花を咲かせる。
明日からも、風景に美しい花を咲かせ続ける「花守」であって欲しい、と願う。なかなか散ることのない「建築」という花は、ともすれば人目に耐えられなくなる恐れのある花だろう。時を経ても、良い年取り方をするものは、造る建築家の能力と使用者の丹精次第といえる。
原稿を書く窓の向こうに、見事な山桜が爛漫である。爛漫に咲き、数日で地に帰する花たちの見事さ、はかなさ。人間には創造しえない、自然の限りない美しさである。そんな春の惜別のドラマが、窓の向こうで開演している。
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