森本京治
Kyoji Morimoto


Profile
M4建築設計室 主宰
大阪府茨木市上中条2-12-45
Homepage:http://www.d1.dion.ne.jp/~m4_morim/

1956 岡山県新見市出身、3才で大阪府茨木市に移住
1980 大阪工業大学建築学科卒業
    sim建築事務所入社
1986 SIM建築綜合設計入社
2000 M4建築設計室設立、現在に至る






YAMASAKA HOUSE







M4 HOUSE





TARUMI SHIP HOUSE





LEMON FLATS


建築家の森本さんに会ったのは、建築雑誌の山陰取材の帰り道であった。森本さんは、シーアイ化成に勤務する水野さんの友人でもある。森本さんは、日曜の朝に奥さんと一緒に、私の宿泊しているホテルに愛車で迎えにきてくれた。第一印象は、眼鏡をかけた丸顔の、どこか人なつっこい表情の青年に見えた。好感がもてる。私から見れば、40代は青年の部類で、彼の場合、特に青年ぽい感じがあった。建築家とか政治家の世界は、晩成職種に属しているらしく、40、50は鼻たれ小僧、という世界ともいえる。

彼の奥さんは、とても闊達で気分の良い女性である。奥さんあっての彼かも知れない、とさえ感じた。それはそれで良い。私は、その器量は持たないが、能力のある女性に寄生して生きる、一生あまり卯達の上がらない「芸術家」的人生が、私の理想である。彼はそんなタイプではないだろうが、奥さんは意思の明白な素敵な女性に見えた。二人の仲も、とりあえずとても良く見えた。

二年ほど、この連載を続けてきたが、奥さんの事をまともに書いたことは初めてである。奥さんが取材協力して下さることもなかった。本人の作品の批評などするより、人物と日常的その周辺の話の方が、井戸端的楽しさがある。作品の良否など、私にとって時としてどうでも良いことで、私は建築評論家になろうとしているわけでもない。などといいつつも、彼の作品を見て歩く。会った時、彼は、SIMという設計事務所の所員。事務所員であろうと、個人作家であろうと、本人の作品ということに変わりはない。事務所の仕事だから…という逃げ口上は、私には聞こえない。彼もそんなことは言わなかった。

吹田市のTARUMI SHIP HOUSEという住宅を見る。オーナーの船好きを形にした家である。船型の形勢に苦心の跡が窺える。エントランス側が良い。海原を思わせる色が印象的で、ファサードデザインは成功している。東淀川区LEMON FLATSは、1階にコンビニが入っている建物。色で存在証明をしている。全体の魅力は欠けるが、良く見ると、細かい所に苦心の様子が窺え、彼のこだわりのようなものが顔を覗かせていた。YAMASAKA HOUSEは、東住吉区にある住宅である。ガラスのグリットの衝立を持つ現代的な表情の作品である。写真に撮ると見栄えのする顔をしているが、周辺環境は絶好とはいえず、効果的な写真にはなりにくかったが、好ましい作品といえた。
最後に自邸を見た。さすがというべきか、当然というべきか、自邸が一番良かった。内部も心地好い。彼の本来の感覚を計るには絶好の材料である。彼の作品を見て回る途中で、安藤忠雄氏設計の「光の教会」も案内して頂いた。安藤忠雄作品らしいシャープなものだったが、安藤作品も多く見てきた私には、特別なインパクトは感じない。森本さんの作品と大差あるわけではないが、違うのは、安藤氏が著名ということと、自己表現が確立している、ということだけである。

彼の家の近くのホテルで昼食をする。彼は、独立しようかどうしようか迷っている最中らしかった。奥さんは、人生に積極的な人らしく、独立賛成の様子。私は、人のことだからと勝手をいった。人生は、せいぜい25000日程度の退屈凌ぎである。人は生まれた時から死を待っている。死までの時間潰しを、人は「人生」と呼ぶ。あくせくすることなどないのだ。できるだけ好きなように、好きな方向で生きるが良い。結婚、子育て、老い、そして臨終、の退屈人生を送るのも結構。それは、本人が人生にその程度の認識と己れの価値を見いだせないから、そうして生きていけば良い。悪いわけではないが、私にはそれのみの人生など意味が見いだせない。食べることだけで精一杯というのは、本人が自己の能力の無さを暴露しているのかも知れない。何かを意思のある自分の行為を、社会にプレゼンテーションするということは、食べることの先にあることである。食べて子育てするだけなら、猿も熊もする。今したいと思っていることは、5年先にはできない状況にある恐れもある。ますます保身的になって、森本さんは退屈なただのおじさんになり下っている可能性もある。今の若さや真剣に迷う精神こそが財産である。躊躇したために、一生一便の船に乗り損ねることもあろう。乗った船が沈没する不運にあっても、別にどうということはない。何とか浮輪に掴まって、身一つの浮遊を、鮫と戦いながら始めれば良いだろう。そのうち助け船は必ず来る。

彼の好きな建築家は、槇文彦、谷口吉生、村上徹、ルイス・バラガン、マリオ・ボッタという。日本人3人は、私も好きである。村上氏には、取材を兼ねて近く会おうと思っている。好きな作家がいるということは良いことである。手本や目標になり得るからだ。
好きな建築作品は「浄土寺浄土堂」「パンティオン」「資生堂アートハウス=設計/谷口吉生」「ノートルダム・ドゥ・ランシー=オーギュスト・ペレー」とのこと。

建築家になった動機については、「外部空間と内部空間の両方兼ね備えた唯一の物である建築を造るにあたって、イニシアティブのとれるコンダクターのような立場で設計活動がしたかった」という。多分、この答えは建築の世界に入ってから見いだした、後発的表現であろう。通常、憧れの建築家や作品、環境から…、などの単純動機が多い。設計思想については、「外部内部空間が相互貫入するような透けた空間を持ちたい。つけたしのデザインでなく、そぎ落とされたデザインを目指す。外部空間については、内部空間が素直に表れ、かつ社会の共有財産としてふさわしいものでありたいと思う。内部空間についても外部から素直に造られたものでありたい」という。特に住宅については、ゆったり、のびのび、自由な、安らげる空間造りを目指したい。青空の似合う家が好き、と語っている。
ともかく、今の状況が暮らしのためだけで、意思的行為ができにくければ、さっさと辞めるが良い、と無責任にけしかける言い方をした。彼に送られて新大阪に着く。最後まで、とても好感の持てる夫妻であった。帰りの新幹線の中で、また、ちょっと勝手を言い過ぎたかな、と髪のない頭を掻いた。

後日、彼からFAXがあった。「5月末日で退社することに致しました。独立後の仕事の予定は何も有りませんが、充電期間と思い、じっくり始めていきたいと考えています」と独立を知らせてきた。奥さんもインテリアデザインなどに有能な人である。二人三脚で、きっと素敵な仕事をするだろう。雑誌になどに発表するなら、西宮には、建築雑誌で活躍している私の弟子もいるし、手助けもできる。充電も良いが、加充電にならないうちに、小さな家の一つも造って欲しい。新作の知らせを是非聞き、見たいと思っている。したいことをする、生きたいように生きることは、早いほど良い。それは私のような歳になればなるほど判ることである。森本夫妻に後悔はないと信じている。嵐(不況)の時期に乗り出せば、後は晴れる日がやってくるのみ、と思えば良い。

5月に残りがあるというのに、森本さんの原稿を書く傍らでラジオが、静岡で33度という暑さの今日のニュースを伝える。
また、私の苦手な夏が来る。


WORKS
1989 YAMASAKA HOUSE     大阪市住吉区山坂
1995 M4 HOUSE(自邸)       茨木市上中条
1996 TARUMI SHIP HOUSE  吹田市垂水町
1997 LEMON FLATS        大阪市東淀川区小松


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