三村夏彦
Natsuhiko Mimura


Profile
堀設計事務所 主宰
山口県萩市川島338番地

1953 山口県出身/血液型A型
    東海大学工学部建築学科卒業
1976 菊竹清訓建築設計事務所入社
1981 堀設計事務所入社
1992 堀設計事務所代表取締役就任






阿武町立宇田小学校



阿武町立奈古保育園



平わらび台活性化交流施設





福栄村長期滞在型研修施設





萩港野外ステージ


新緑が常緑になろうとする頃、萩に行った。萩は、初めてである。長年、全国を旅する私にとって「初めて」には理由が三つある。一つは、当然のことだが、たまたまその地域に仕事が、発生しなかったこと、二つ目は、その地域に、大きく私を惹きつけるものがないこと、最後は、見たいものの少しはあっても、そこが観光地として名高いことである。
萩の場合は最後の、私における観光地アレルギーが災いして、人生の晩秋に訪れることになってしまった。萩は、島根県の津和野と並ぶこの地方有数の観光地であり、長州の基点として華やかな歴史を持つ街だ。伊藤博文を始めとする、歴代宰相を7人も輩出する誇らしい実績も持つ。木戸孝允らの功績が、後の首相を生む土壌を作ったのかも知れない。 
浜田市の石見空港に降りて、レンタカーで海沿いの道を走る。快晴の光が、海を眩く反射させている。萩の手前の阿武町に入ると、コンクリートの建物の裏側と思える辺りに、柔らかいアーチの建物が、ちらっと見えた。何だろう、と車を近付けると、保育園だった。
アーチを持つ棟と、きれいな色彩の低い棟から成っている。アーチ部分は、思ったより骨太だった。園の方に、設計事務所名を伺って帰る。さらに萩に車を走らせると、港に、バランスの良いステージのようなものが遠望できた。気を引くものがあると、何が何でも接近しようとする。この歳になっても、好奇心=野次馬根性は衰えることはない。他に取り柄のない自分だから、野次馬根性は財産と解釈している。海辺のステージは、なかなか魅力的なもので、同行の記者が「保育園と同じ設計者かも…」という。多分、そうだろうと頷く。

黄昏に、保育園で伺った設計事務所に電話する。設計者は、堀設計事務所の三村さんという方だった。初対面なのに無理をお願いして、夜分に事務所に伺う。三村さんは、品のよい丁寧な方だった。またも「ものは人なり」を実感する。品の良い作品は、本人の品性が創らせる。かつて建築家・吉村順三さんがおっしゃっていた「品性」の話が頭に浮かんだ。
見た目賑やかで、退屈凌ぎにだけはなるような作品の作者は、きっと、賑やかで、多少、不遜で軽やかな人間性だろう、と私は推測する。極めて品性が高いと思える人間から、怪奇や奇妙は発生しにくい。海のステージも、やはり三村さんの仕事だった。一地域に、優れた多くの作家は存在しない事実は、萩でも証明された。萩周辺で気になるデザインの建築を発見したら、まず、三村さんのものと見当をつけるのは正しいだろう。

私は、日本建築士事務所協会の会報の表紙とエッセイを担当して3年半ほどになる。名刺を出すと、三村さんは、その会報を見られていて、私を思い出してくれた。こんな出会いは嬉しい。急に相手との距離が縮まる思いがする。幾つかの近作などを伺って、別れる。

翌日、他の三村作品を訪ねて歩く。「平わらび台活性化交流センター」とその下方にある「福栄村長期滞在型研修施設」を見た。どちらも三村さんらしいが、私は、後者の方が気に入った。建物を遠望した時の、そのフォルムとシチュエーションが良い。建築の魅力は、シチュエーションに左右されることは大だが、雄大な自然の中に緩やかなカーブを見せて置かれたこの作品も、素敵だった。どちらかというと、ローコストの建築であるが、少しの間、住んで見たい環境と建物の一つと言えた。最近では、福島県のあだたらで見たフォレストパークのコテージ(設計/トム・ヘネガン+阿部直人)が、同じ印象を抱かせた。交流センターからの研修施設を取り込んだ眺めは雄大で、暫く、初夏の山並みを眺めていた。

後日、三村さんに幾つかの質問をした。建築家になろうとした動機については、 「中学生の時に、萩市民館(設計/菊竹清訓)に接して、強く新鮮な空間を体験した記憶に基づく」とある。菊竹さんの事務所に入った動機でもあろうか。菊竹事務所は、内井昭蔵さん、伊東豊雄さん、長谷川逸子さん、内藤廣さんらの優秀な建築家が生まれている。
三村さんは、内藤さんらと研鑽を重ねた世代だろう。好きな建築作品も「萩市民館」と答えている。好きな建築家は、内藤廣さんと吉田桂二さんと記されていた。内藤さんは、私も好ましいと思っている建築家で、作品も幾つか拝見した。吉田さんの名前を出された人は初めてだが、品の良い、秀れた作品を多く創られている建築家である。何より、親しい吉田さんの名前が、三村さんから示されたのは嬉しかった。設計の意図として、作品各々についてではなく、総論的なものが返ってきた。彼の設計思想といえるだろう。

「建築は、機能は別にして、光と素材とプロポーションで構成されている。現代建築はいろいろな材料を使いすぎるということが、ひとつの欠陥となっている。豊かなるゆえに、あまり選別しないで、片っ端から使う事が空間の貧困さに繋がってきているように思える。
本当の豊かさは、本当の物を本当に見せる事である。刺激ある情報が蔓延している社会だからこそ、一方で心から落ちつける空間要素が求められている。
建築は、自然に協調しなければならないが、一方で文化と自然は対立するものである。建築の持つ表現力の強さや文化が、自然を見る新しい目を引き出し、周囲の自然環境の美しさが建築の存在によって、より鮮明に引き出される事ができたらと思う」


彼の言葉と彼の幾つかの作品を照らすと、彼の意思は、満点とはいえないけれど達成され、それに向かって努力していることが窺える。私と違って、これからの時間のある人である。
維新で活躍した長州の士々達のように、この地域の建築界を牽引する有能な士として、ますます活躍して欲しい三村さんである。


WORKS
1997 阿武町立宇田小学校       山口県阿武郡阿武町大字宇田
1998 阿武町立奈古保育園                大字奈古
    平わらび台活性化交流施設          福栄村大字福井
2000 福栄村長期滞在型研修施設               〃
    萩港野外ステージ             萩市大字椿東釜屋



この建築家訪問記も、最終回である。
長く、駄文を読んで下さった読者に、心からお礼を申し上げます。
私のような、当てにならない放浪者を丁寧に迎えて下さった建築家の皆さんにも、心からお礼を申しあげたい。
内輪ながら、勝手気ままにさせて頂いたシーアイ化成の皆さんにも、「ありがとう」です。
あちこちの本などで、数々の連載をしてきたが、いつも最終回は寂しいものである。全国各地、大勢の建築家に会い、多くの言葉を交わしてきた。どなたも、真剣に建築に取り組み、利益追求のみに走っているような人にはほどんど会わなかった。もの創りの人達はいいな…と思うこと度々である。勝手に、全国に友達ができた、これでどこに行っても心強いぞ…などと、思い込んで喜んでいる。「人は財産」を再確認している。
会った建築家の数倍の作品も拝見した。私の好みに大きく外れるような作品も少なかった。その多くの作品データもフロッピーに溜まって、これも写真と共に財産になっている。各地の四季、旨いもの、皆んな思い出という財産である。

この連載が終わっても、私の旅は続く。
雑誌社の仕事が切れて、財力源を失っても、目的がある限り、芭蕉かフーテンの寅のように足で行ける限り行く。多分、私は「行き倒れ」という死に方をするに違いない、そう思っている。今後、どこかで私の駄文や写真を見掛けたら、まだ、何とか生きているみたいだ、と思って下さい。
長い間、本当にありがとうございました。

                   2000.8 宮本 和義

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