
長野市安茂里総合市民センター

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自邸

長野高等学校鐘楼「日新鐘」

TSビル:高沢産業本社
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建築家の関さんを訪ねたのは、梅雨のような日が続く、5月の下旬だった。長野市内のやや西方を裾花川が流れている。裾花川が、犀川に流れ出ようとする辺りに、あやとり橋という橋がある。その橋を渡った信号を左折した辺りに関さんのオフィスがあった。
看板もまともに出ていないので、何度も事務所の前をウロウロ。揚句は、事務所のあるビルのすぐ前で人に訊いたりした。訊かれた人も、「さぁ・・・」などという。電話番号も忘失している。
困って車を止め、ふと見ると、窓ガラスに「関建築+まち研究室」の張り紙があった。こんなのはサインのうちに入らない。来客を歓迎していない、と思った。約束に1時間位遅れていた。
この分では、多分、ぶっきらぼうな奴だろう・・・くらいに思って、覚悟して事務所に入る。それでも、こちらは遅れたのだから(理由はともかく)、「遅れてすみません」と挨拶するしかない。
現れた関さんは、予想に反していた。にこやかで丁寧な人物である。紳士に違いない、と思う。
それでも、私は、「まともな看板くらい出してよ」と言った。
関さんは、「すみません、すみません」と詫びたが、次回訪ねることがあっても、看板はなかろう、と思う。紺屋の白袴に近い。
関さんは、早稲田大学を卒業後、村野・森事務所で活躍した人である。村野藤吾さんの「24時間全部が建築」という言葉に惹かれ、村野さんの事務所に入所したらしい。
関さんは、代々建築事務所の環境である。関さんで三代目である(S27設立)。村野・森事務所に6年勤めてから、昭和56年に関・坂井事務所に入り、平成4年に代表取締役になった。
関さんの作品の幾つかを見て周る。どれにも、村野事務所らしき匂いは、感じられなかった。村野さんの個性が、私の中で、いま一、明確化されていない所為かも知れなかった。
私の目には、自邸が最も心地好く映った。
今後、もう少し頑固になれば、面白く、個性的な仕事を多くする作家の一人になり、地域をリードしてゆく人になりそうだ。
関さんの作品を幾つか見てから、オリンピック施設など、最近、長野市内にできた建築を見て歩いた。どれも楽しいとか、凄いと感じられるものはなかった。長野駅などは、楽しいどころか、がっかりした。旧駅舎の方が「善光寺の長野」らしくて、ずっと良かった。「長野に着いた」という実感があったのだ。駅は、旅する者に、そういう印象を与える役目もある。東海道新幹線の統一された、無味乾燥な駅舎建築以来、JRの駅は美しくなくなった。軽井沢の駅も同じである。
関さんに、設計を任せた方が良かったかも知れないと思いながら、長野ICに向かった。
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