真島光雄
Mitsuo Mashima


Profile
創建築設計事務所 代表
新潟市紫竹卸新町1808-35

1947 新潟市生れ
1969 日本大学理工学部建築学科卒業
    ゼネコン設計部に入社
1975 創建築設計事務所設立に参加
1976 創建築設計事務所代表 現在に至る


創建築設計事務所



創建築設計事務所



創建築設計事務所・茶室



小須戸町健康温泉センター
「花の湯館」



新潟県信用組合新潟駅前支店



総合生協新会館



労福協会館


新潟へは、数か月前に行ったばかりである。不思議なもので、暫く縁がなかった地域も訪ねる機会に恵まれると、続けて仕事ができるということは、時々あることだ。親しい雑誌社の記者の方に、「新潟市に真島さんという建築家がいらっしゃいますよ」と教えられて、訪ねた。

真島さんのオフィスは、新潟市の東側の線路のそばにあった。最近、新社屋を建てて引っ越されたばかりという。今風のシヤレた事務所である。きちんとした身繕いの真島さんは、中身もなかなかの紳士と見受けた。だいたい我々の仲間は、中高年になってもGパンにシャツで、どこでも出かけていくような無頼姿の者が少なくないし、私も、お世辞にもきれいとはいえないおじさんである。真島さんのような身繕いの方に会うと、少々の反省もあるが、別れると、反省も一緒に置いてきてしまうから役に立たない。
オフィスの一角に、真島さんなりに考えた茶室が造られていた。学生時代から茶に親しんでいるらしかった。番茶さえも好んでは飲まない私には、楽しい空間になっている、程度にしか判断がつかない。茶道でも何でも形式ばるのは苦手たが、伝統は形式に乗っ取っているから、継承され、大切にされるのだろう。

地域密着、緑の街造りを旨とする真島さんだが、地域密着と緑を大切に・・・の看板はあちこちで聞かされる昨今ではある。建築家の人達が提唱する緑と、雑草も緑のうちと思っている私とは、どうやら少しばかり違うらしい。う〜ん、難しい。雑草の命はどうなるのだろう。雑草のような人間が、雑草をむしりながら、雑草のように逞しい我が子を望み、逞しくなりそうもない塾通いなどさせて、受験、受験とオロオロしている様子が楽しい。自分が塾に通い、勉強し直せば良いものを、酒だカラオケだ、バーゲンだとノーテンキになっているのは笑止である。地域密着、緑の街造りは、他の同志に任せて、歩道橋とか汚い看板、電柱排除の旗頭の方が、有効かも知れない。
真島さんは、ノーテンキの人種とはあきらかに違って見えたが、さて、本当のポリシーに至るには、まだ、少し時間がかかりそうだった。それでも大勢の所員の頭に立って、物創りに奔走していることは、敬服である。私など、我が身の面倒さえ見兼ねて、自分を解雇したいとおもっている有様である。

真島さんの幾つかの仕事を拝見した。手際が良く、手堅い。信用できそうな仕事ぶりだが、少々、盛り上がりのない音楽を聞いているようだった。店舗は手掛けないらしいが、少しは手掛けた方が、真島さんの場合、その後の作品に大きな変化が出そうな、そんな気がした。シャレた焼き鳥屋なんかやってみると良いかも知れない。大きい役所や組織の建築をしていると、経済的な面では安定するのだろうが、その中で、実験的な事ができないと、御用商人に終わる。私は、豊かな建築家の創造性が楽しみなのだ。まだ、建築家としてこれからといえる真島さんには、今後も大いに期待したい。

新潟には、最近、長谷川逸子さんが設計した文化芸術ホールが、信濃川河畔にできた。工事の最終段階に眺めた。これだけのものができると、外国に似た建物があるとか、いろいろな騒音、雑音が出る。賛否両論はどこでも常だろうが、私は、大いに結構なことだと思う。つまり、話題になる建物一つ生れない都市は、無能で廃退するしかないということである。少しでも、新潟のこれからの建築家たちの刺激になったら、一つの役目は果たすはずである。税金の無駄使いと騒ぐ前に、その建築から何かを吸収して、税金を無形で還付してもらう方がいいなぁ、などと思いながら、暫く、晩夏の川風を受けて橋の上に佇んでいた。


WORKS
1991 総合生協新会館
1993 新潟県信用組合新潟駅前支店
    ターミナルホテル新館
    小須戸町健康温泉センター「花の湯館」
1995 新潟県教職員組合新会館
1996 新潟県民共済生活協同組合
    労福協会館
1997 老人保健施設ケアポート「すなやま」
    創建築設計事務所オフィス


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