鈴木喜一
Kiichi Suzuki


Profile
鈴木喜一建築計画工房 代表
新宿区矢来町 114 〒162-0805
e-mail:w_yoshi@ari.bekkoame.ne.jp

1949 静岡県富士宮生まれ
1975 武蔵野美術大学卒業
    武蔵野美術大学助手
1984 鈴木喜一建築計画工房設立 現在に至る

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アユミギャラリー





池田邸(撮影:畑亮)



会津田島の馬宿(撮影:畑亮)



高尾事務所(撮影:畑亮)





自邸


著書


東京都新宿区神楽坂にアユミギャラリーという、最近、東京ではちょっと人に知られた素敵なギャラリーがある。中身の濃い展覧会が多い。ギャラリーのオーナーは、鈴木惇子さんで、その御主人が建築家・鈴木喜一さん。この建築家訪問記では初対面の方が多いが、鈴木さんとの初対面は20年近く前に、静岡の建築家・大石治孝さんの事務所でだった。少し、もっそりした感じの青年だった。それから間があって、再会を得てからも十数年がたつ。私も、個展や合同展でギャラリーにもお世話になったし、鈴木さんとの共著もある。ギャラリーは、かつて奥さんのお父さんが、建築事務所として使用していたものを、娘婿の喜一さんがギャラリーに改修したものである。

鈴木さんは、民家の改修などを得てとする建築家であり、ギャラリーも自宅も1947(S22)の竣工の旧いものである。この他にも、「会津田島の馬宿」の復原、岐阜県の「八百津町ものとくらしの博物館」等々、多彩である。鈴木さんは、武蔵野美術大学の講師もしている。画の達者な彼は、近代建築スケッチ展を生徒と共に、情熱的に全国展開して久しい。わがままな私も、気が向くと手伝ったりする。

私は、日本全国を散歩することにかけては、鈴木さんにも寅さんにもヒケはとらないと自負するが、小さな破れそうなリユックにスケッチブックを繰りつけて、明確な行き先も決めず、海外の、しかも僻地に近いところへ放浪に出る彼の度量には感服する。これこそが旅、と示されているような気がするのだ。流暢に外国語が操れるわけでもない彼が、平然とそんな旅を長い間繰り返して、その成果を見事な文と画で本に纏めて出版する。魅力的な生き方である。素朴に暮らす人々や、飾りのない文化が彼を惹きつけるのだろう。立派な旅行鞄にパンパンに着替えを詰め、日本人だらけの、至れり尽くせりの海外のレジャー先で、買物に狂奔し、無意味な旅をする人種は、彼の爪の垢でも煎じて飲むと、少し、意識が変わるかも知れない。彼とは海外旅行を二度した。二度とも中国だった。彼にしてみれば、計画的な旅の方だったかも知れない。市場の雑踏や、水辺の小さな集落を訪れて、少し、彼の旅の意味が判ったような気がしたが、二人旅より、旅は独りの方が互いに良いようにも思えた。

彼の事務所には、良い人材が集まる。特に渡邊義孝さんという青年は魅力的で、画も上手い。過年、船で中国に渡り、はるばる大陸を独り旅し、急病で現地人に助けられる一幕もあって生還、その成果を本にした。魅力的な本であった。このような青年が集まり、育つ土壌は、鈴木さんのパーソナリティによる、と私は思っている。鈴木さんの建築作品の撮影は、私とも仲良しの、秀れた写真家・畑亮さんが手掛けられているので、出る幕はないが、どの建物も粗悪なものはあるまいと信じる。良質な建築家の一人であろう。気さくな人柄は、親しみやすく相手に安心感を与えるが、ともすれば少々、軽薄、無頓着に過ぎるところがあるのが、欠陥といえばいえる、が私も他人のことを言えるほどの者ではない。

私は、正月にも盆にも動揺しない?メリハリのない人種なので、元旦からデスクワークをしたが、鈴木さんは中国放浪中らしく、例年通り、地域の判らないところから、生きている証しのように年賀状がきた。彼は、何省の何村で初日の出を迎えたのだろう。互いに、行き倒れ絶命承知の勝手な人生だから心配する必要もない、と異国の香りの漂う賀状を見つめながら思っていた。


WORKS
1986 池田邸/中野白鷺の家
1987 酒井邸
1989 会津田島の馬宿(旧大竹家住宅)復原
1993 アユミギャラリー改修
1994 富士見高原の家
    成田東の家
1995 横寺の家改修
    高尾事務所(ヤモリの棲む家)
1997 猫の家
    高尾邸(新ヤモリの家)
1998 市川邸


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