
遠賀コミュニテイセンター


築城内科

老人保険施設正寿園

十連寺公園

遠賀北児童保育クラブ

博多町家ふるさと館


和楽

下山田小学校
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この建築家訪問記は、建築雑誌社の建築知識が、この5月から5年に亘って、全国1万数千件の建築作品を掲載した建築ガイドブック「建築採集記(全10巻予定/B5・全国建築ガイドブックで、オールカラーで、1冊千件前後を掲載しているものは、今のところ無い。余分な能書きは省いて、その存在だけを明示し、楽しくビジュアルな本に編集。20世紀を中心とした建築の総覧=記録でもある)」の取材の中で、私が会った建築家達である。
建築知識の了解と協力が、大きな味方となって続けられている。それは経済的なこともさることながら、副編集長の市川さんの顔の広さと理解である。彼は、過去に地域の建築家を追って全国を取材した。私は、全国に知人の建築家がいるわけではないから、彼の財産を拝借しているといって良い。
福岡の鮎川さんは、以前に会った長崎の大草さんの友人である。鮎川さんの事務所についたのが昼頃で、別れたのは5時近くだったから、初対面の人と5時間も話していたことになる。近年の私には稀なことであった。(近年、体力も落ちたのか、人に会うのが、少々面倒になっている傾向でもある)。彼の雰囲気の良さに、時を忘れたらしい。ほど良い毅然さと、ラフさが心地好い。東京に共通の知人がいたことも、互いを近くした。しかし、今、思い出しても、長い時間何を話していたのか思い出せない。人と会って、楽しく話ができただけで、十分だとは思っているが。
翌日、多くの建築作品を、シーアイ化成福岡支店の市川さんの案内で見て歩く。彼の折角の日曜日を横取りして、案内を強要したのである。かなり迷惑なことだったと思うが、道不案内のこちらは本当にありがたい。ももち浜の鮎川さん設計の住宅も見た。ももち浜には、M.グレイブス、タイガーマン、黒川紀章諸氏ら著名建築家設計の集合住宅などが並んでいるゾーンがある。鮎川さん設計の家は、その裏手の住宅街の一角にあった。大きな瓦屋根の家だった。品の良い普通の家、という印象だった。博多では、中洲の川岸のホテルに泊まっていた。部屋の窓から、街が見下ろせる。正面に、白い妻壁を見せた清潔な感じの和風の建物が見える。鮎川さんが、設計と改修を手掛けた「博多町家ふるさと館」である。地味だが、良質な仕事ぶりで好感が持てる。豊かな発想が感じられる建築は楽しめるが、こういう仕事は、落ち着いた気分で眺められる良さがあり、再度、訪れることが多い。マイケル・グレイブスも伝統的な日本建築の姿にはかなわないかも知れないし、その価値は、外国人の方が承知している昨今でもある。
北九州に行く。小倉にも鮎川さんの作品があった。和楽という料亭風の小料理屋は、小倉で泊まったホテルのすぐ裏手にあった。ビル街の中にある普通の民家を、上手に処理した店で、落ち着いた佇まいの作品だった。広くはないので、通路の変化だけが印象に残った。築城医院という医院併用住宅も見た。鮎川さんの友達だと言って、待合室を見せてもらった。小さなトップライトのついた待合室は、町角のギャラリーのようで気に入った。
鮎川さんという人は、あまり流行のデザインなどに左右されない人らしい、と感じる。年齢のせいではない。そういう人なのだろう。大年増の建築家でも、節操なく?流行を追い回しているかのような人も、いないわけではない。媚びもせず、毛嫌いするわけでもなく、淡々と静かに、わが道を行く人が、どの世界でも私は好きである。人は人、世間は世間、私は私と思っても、世間や人ばかり気にして生きても、一生は一生で、死ぬまでの時間潰しには変わりはない。ならば、マイ・ペースの面積が大きいのが幸せである。まして、ものを創る人は、それが良いと思う。振り回されるのは、自己が怪しいからだろう。その点で、鮎川さんは、幸せの部類の人なのだろう。彼の作品の中では、近作の下山田小学校が記憶に残った。
桜前線というものは、沖縄から九州を皮切りに北上するものと思っていたら、甲府辺りで咲いた、というニュースを聞いた。福岡市内では、まだ、それらしい姿は確認できなかったが、三潴町の十連寺公園に行ったら、三分ほどの花が開いて、公園に花見時期らしい提灯が下げられて、風に揺れていた。この公園には、物見台らしいブリッジがあって、そこから春霞の街が眺められた。これも鮎川さんの仕事である。そこから、少しの間、街の春を眺めた。あまり素敵な景色ではなかったが、所々に菜の花の黄色があって、街が少し華やいで見えた。
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