坂田一幸
Kazuyuki Sakata

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Profile
風設計室 代表
熊本市神水1-14-23
1952 熊本県生れ
1975 日本大学理工学部建築学科卒業
辰村組、新設計同人勤務
1987 風設計室代表 現在に至る
■坂田久美子(Kumiko Sakata)風設計室
1957 熊本県生れ
1980 熊本大学工学部建築学科卒業
伊藤建築事務所などに勤務
1984 風設計室設立
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πυευμα
(風設計室アトリエ)

母の家


笛田中央公園休憩所・トイレ


富岡海水浴場トイレ


熊本市信用保証協会
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建築ガイドブック(全10巻)の1巻目が発刊された。その頃、私は熊本にいた。熊本で建築家・坂田一幸さんと会っていた。
昼間は、5月というのに何だか蒸し暑い感じがする日だった。坂田さんは、熊本市神水で、風設計室という建築事務所を主宰している。奥さんも建築家である。坂田さんは、忙しい最中で、ゆっくり話ができなかったが、穏やかな人柄という印象だけが残った。短い時間だけだったので、以前、建築知識の市川さんがインタビューした記事から、そのプロフィールを引用させて頂くことにする。
小さい頃から、モノを作ることが好きだった、と建築家へのアプローチを語っている。祖父君が、建築会社の熊本支店長だったことの影響も、零ではなかろう。「モノを作る作業が好き」これは、われわれにしても同じで、立体に進むか、グラフィックに進むかの違いである。いずれにしても、自己表現の一つで、演劇のように、肉体表現という手段もある。ただ、建築の場合、写真や絵とは違って、機能や建築費など、他人との大きな関わりあいを持つ。社会的責任も大きい。ボ〜と写真など撮って、ブラブラ一人旅をしている私などとは、同じモノ作りでも大差がある。私は、大勢の建築家に会ってきたが、その度に敬服することがある。それは、大勢の人々と長い時間関わって、仕事を続けていく気力である。坂田さんと会っていても、その敬服の念は、心の底で息をしている。
私は、長い時間や多くの人と関わっていると、気が重くなる。知らぬ人が多く混じるパーティなど、近年は、一切遠慮している。本来、一人が苦にならず、一週間まともに人と話さないことがあったが、全く平気だった。横井さんや小野田さんになれる人間かも知れない。建築家の仕事は、手離れが悪い。相手が、良質なオーナーなら、それも楽しいことになろうが、ウマの合わない人だと、ストレスが溜まるだろうな…、と思うと、建築家になれる資格などないことを承知せざるを得ない。感覚や技術以前の問題である。そんな私でも、人と交わらなくては仕事はできない。交わる時間の長さの問題だろうし、どんな仕事も、人が人の為にすることだけである。動植物の飼育も、人が生きるための仕事である。動植物は、そうしてくれとは頼んでいないはずである。
坂田さんは学生時代からの約10年間を東京で過ごしたらしい。東京での暮らしを「点から点に動いている」と感じ、もう少し「エリア的な考え方、動き方をしたかった」と、雑誌で話している。
それは一つの地域に、しっかり根付いたモノ作りを、キメの細かい仕事ぶりをしたい、そういう事なのだろう。仕事の違いもあるかも知れないが、私のように、日本中を点から点で、それこそテンテンとしている男とは、対極にある考え方だろう。
熊本は、アートポリス計画で、斬新な多くの建築ができた。これは、建築家たちが新しい試みをしやすい土壌を作った。建築家にとっても良いことに違いない。
坂田さんの奥さんの坂田久美子さんに、近くの建築を案内して頂いた。車で、十数分の所にも、妹島和世さんや長谷川逸子さん、山本理顕さんらの作品があった。当然の事ながら、予定したところに予期した建築がある。自分の中で、どんどん当たり前化が進んで、感動が薄い。著名建築家の作品より、坂田さんのアトリエに隣接する慈愛園という施設の中に、リストにない大正9年竣工のドイツ風の資料館など発見すると嬉しく、興奮する。坂田さんの奥さんは、割にはっきり意見をおっしゃる方で、気持が良い。坂田さんとも時々対立するらしく、一緒に仕事しない方が互いの為と思うと、他の事務所に遁走?した過去もあると話してくれた。頭の良い人なのだろう。夫婦は、何が何でもくっついていなければならない、などと思うのは妄想や退屈な通念だが、それと気づく賢者は少ない。久美子夫人の話では、坂田さんは、一見穏やかそうに見えるけれど、ガンとして譲らぬ所を持つ人らしく、また、物事を知らない、と明言することに抵抗感を持つ人らしい。良いことである。
物創りに頑固さは必需品、物事を知らないのは恥という見栄は、人を勉強に走らせる、と私は思っているからである。ただし、見栄が見栄だけで終わらないことである。
坂田さんの作品の幾つかを拝見して回る。私の目に不合格はなかった。どれも心地良さのあるものだが、感嘆の声は出ない。そこに、坂田さんが「私はオーナーの要望に応えようとしすぎる」と言っていた姿があった。アトリエやお母さんの家は、自己がオーナーと解釈できる。しかし、それも穏やかな作品であった。それが坂田さん自身なのである。これから、このままで良いかどうかは判らない。ただ、人は、その時したいことをする、それができる面積が大きいほど幸せである、とは言えるだろう。
私の建築ガイドブック「建築採集記」は終わりのない旅である。また、5、6年経て、彼の作品を拝見に訪れようと思う。その時の彼は、どんなであろうか。そんなことも含めて、人は時々会うのが楽しい、と私は思うのである。全国に、多くの知り合いの建築家達がいる。大勢いれば、各々の人には、暫くぶりであっても、私は、その暫くぶりを日々繰り返しすのである。相手変って主変わらずである。熊本に行けば、坂田さんに会える。それが旅のもう一つの楽しさであることは、一週間、誰とも話さなくても平気な私でも、楽しみであることは確かなのである。
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WORKS
1986 πνευμα(プネウマ=風 【風設計室アトリエ】)
1991 母の家
1992 笛田中央公園休憩所・トイレ(+スペースデザイン)
富岡海水浴場トイレ
1997 松尾西地域福祉コミュニティセンター
あそやまなみ病院
免出邸
1998 熊本県信用保証協会 八代支所
瀬口邸
FCS
川口邸
1999 熊本YMCA阿蘇キャンプメインホール
慈愛園エスターホーム
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